安浦三丁目(神奈川県横須賀市)
戦前からの軍都・横須賀には戦後、赤線が三ヶ所(安浦・皆ヶ作・柏木田)存在していた。
そのうち、安浦三丁目は大正期に漁港すぐそばを埋め立てて造られた新開地で、開業当初は八十八軒だったという(木村聡『消えた赤線放浪記』より)。
戦後も赤線として存続し、「百五十軒、四百名の女が、「夢よ、もう一度」と海上警備隊を相手に春を売っている」(『全国女性街ガイド』)。
売春防止法施行で表向き赤線廃止も、昭和45年頃には約四十軒が旅館の名目で営業していたそうで、近年まで色街としての妙脈を保ち続けてきた。
安浦神社
灯籠や玉垣に妓楼の屋号と思われる名前が見られる。
理髪店だった一軒
斜め真鋳のドアと回転窓、腰回りのタイル装飾は赤線当時を思わせる
「良美軒」がかつての屋号だったのだろうか
現在は事務所として使われている一軒
銭湯
鉢植えに隠れているが、七福神の絵が描かれている
メインストリートの入口
ゲートの骨組みが残っていた
石畳が敷かれていた細い路地
奥に古い電柱が残っている
古い電柱のモダンな装飾
数は減らしているものの、古い旅館だった家屋が残っている
冒頭写真のコーナー部分
看板がはめ込まれていたと思しき骨組みが見られる
色街には付き物の髪結い屋さん
かつては旅館だったのだろうか
玄関には家紋のような透かしが見られた
古い電柱とかつての旅館と思しき一軒
石畳敷きの細い路地
古い電柱が所々に残っていた
安浦三丁目のメイン通り
県立大学駅の通りと国道16号の交わるところに看板建築の理髪店
訪問 2014年8月
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