2017.03.04 08:28島原「角屋」(京都府京都市下京区)現存する唯一の揚屋建築「角屋」遊里がこの地に移って来てから建ち、国の重文。現在は「角屋おもてなしの文化美術館」として一般公開。今回は冬の特別公開に合わせて中に入った。
2017.03.04 08:06島原(京都府京都市下京区)京都では唯一お上の公認を受けたことで格式高い遊郭「島原」。『全国遊郭案内』では「貸座敷は目下百四十八軒あつて、花魁は四百三十四人居る」と記されている。戦後の規模は、「いわゆる女中さんである花魁は百九十五名が九十軒ほどの貸席にいる」(『全国女性街ガイド』)。島原においては、花魁が「...
2017.03.02 06:55五番町(京都府京都市上京区)芸妓本位「上七軒」に対し、娼妓本位の遊里だったのが「西陣新地」(通称「五番町」)。戦前は「北新地」と呼ばれ、芸妓本位の「甲部」と娼妓本位の「乙部」に分かれていたようだ(『全国花街めぐり』より)。戦後も赤線として存続し、『全国女性街ガイド』によると、「女の子は九十三軒の店に二百七十...
2017.03.01 07:49橋本(京都府八幡市橋本)京街道宿場町の遊里「橋本」を散策。『全国遊郭案内』では「八幡町遊廓」として紹介、「貸座敷の組合員が七十五人居り、娼妓は四百七十一人、芸妓は三十名と云ふ大舞台に成つて居る」。戦後も「七十五軒に二百六十二名」と推移(『全国女性街ガイド』)。今なお旧妓楼が多く残り、住居として利用されて...
2017.03.01 07:32上七軒(京都府京都市上京区)京都五花街の一つで西陣の遊里「上七軒」は、室町時代に北野天満宮再建の余材で茶屋を7軒建てたのが始まり。北野大茶会で豊臣秀吉のお褒めを受け、西陣織の産地として繁栄したことに伴い、花街として賑わうように。以下、『全国女性街ガイド』における記述より。「お茶屋は三十五軒しかないが古い家が...
2017.02.26 04:44五条楽園2017(京都府京都市下京区)近年まで京都随一の色街だった「五条楽園」を散策、かつては「七条新地」と呼ばれていた。前回の訪問から5年ぶりの再訪、あいにくの雨模様の中の散策だった。前回の訪問の様子はこちらを参照。
2017.02.25 07:35五条楽園2012(京都府京都市下京区)かつては「七條新地」と呼ばれた娼妓主体の遊里。「百六十八軒に七百五十名」という規模の赤線だった(『全国女性街ガイド』)。赤線廃止後、表向きは"お茶屋街”として存続も、平成22年の摘発を受け、色街の歴史に終止符を打つ。全盛期の昭和40年頃は、お茶屋84軒、置屋16軒、旅館15軒、バ...
2017.02.24 07:26宮川町(京都府京都市東山区)雨の宮川町「戦前は芸妓五百、酌婦二百七十名だったのが、現在はお茶屋二百七十軒に芸妓九十、女中が三百名〈休むもの多く実働は二百六十名くらい〉」(『全国女性街ガイド』)隣の祇園から派生した花街かと思ったら、五条新地からの派生だったらしい。戦前から戦後にかけて芸娼両本位の花街だった。
2017.02.21 12:16先斗町(京都府京都市中京区)三条大橋から望む先斗町花街「昭和初期まではお茶屋二百軒、芸妓三百名と祇園に対峙して全盛を誇ったこの里も、現在はお茶屋七十七軒、芸妓百四十一名に縮まった」と『全国女性街ガイド』(昭和30年)。