立石(東京都葛飾区)

東京大空襲で焼け落ちた亀戸私娼街の業者が立石に新天地を求めて特殊飲食店街を開業。

戦後、RAA(特殊慰安施設協会)指定の慰安所を経て赤線へ移行。

「六十軒、約三百名のこじんまりとしたところ」(『全国女性街ガイド』)。

それとは別に、現在「呑んべ横丁」となっている日用品市場「立石デパート」が戦後にできた。

現在、この飲み屋横丁のエリアを含め、京成立石駅周辺では再開発が予定されている。


立石駅を出て左手にある「呑んべ横丁」

起源は昭和28年にできた日用品市場「立石デパート」


日用品市場の名残りと思われる洋品店の看板が残っている


現在は飲み屋横丁に

細い路地に屋根が掛った迷路空間になっている


『赤線跡を歩く』にも出てくるスナックのドアが見える


旧特飲街は駅を出て右手に広がっていた

現在もその名残がわずかながら残る


突き当りに円柱を持つスナックが見える


円柱の下部の塗装が剝がれ、カラフルな豆タイルが露わに


独特の外観を持つスナックが所々に


モダンなファサードの看板建築


昔ながらのしつらいのままを保ち続ける「鳥房」


線路を挟んで反対側にはアーケード商店街が広がる

庶民的な店が並ぶ「仲見世通り商店街」


戦後の空気を封印しているかのように広がる木製のアーケード


「仲見世通り商店街」には昼間から開いている飲み屋もある

行列待ちの光景お馴染みの「宇ち多゛」もその一つ


看板を見ても昭和のまんまの光景が残っているのがわかる


奥戸通りには木造建築の店舗も見られる

戦災地域から外れたエリアだったかも知れない


看板でわかりにくいが、出桁造りの酒屋さんもある


奥戸通りから住宅街に入るとこうした古いアパートが残っている


昭和のころはこうしたアパートが多かったのだろう



訪問 2013年12月


★KENTAの写真倉庫★

東京近郊を中心に、たまに遠方に出かけたりして、下手糞な街並み写真をデジカメで撮っています。 人様にお見せするというよりは、自分の思い出のアルバムという形になっています。 (タイトル写真・内子=愛媛県)