千住柳町(東京都足立区)
日光街道の宿場町だった千住には、江戸時代から旅籠に飯盛女が置かれ、明治に入ってからもそれが点在していたが、大正10年に街道から離れた現在の千住柳町が指定地とされ、妓楼が一手に集められた。
大正12年の関東大震災で被災した吉原や洲崎の客が流入して発展するが、この経緯はやはり同様に宿場町から遊郭となった新宿に類似する。
『全国遊郭案内』によれば、昭和5年当時「貸座敷が五十三軒に増え、娼妓も三百三十人に成つて居る」。
昭和20年3月の東京大空襲では、遊郭の西側で一部が被害を受けたにとどまり、戦後に赤線へ推移した際も破風屋根を持つ妓楼風の店舗がカフェー店舗と同居する遊里だった(『全国女性街ガイド』によれば昭和30年当時「五十四軒、二百二十名」の規模だった)。
赤線廃止後は静かな住宅街となり現在に至る。
数年前まで残存していた以降もほとんど解体されて、名残りは皆無に近い。
※2017年3月に再訪、その時の写真を追加しています。
千住柳町へ向かう途中の千住寿町に構える「大黒湯」は、”キング・オブ・銭湯”の異名を持つ古風な唐破風屋根を持つ銭湯。
他にも千住遊郭の周囲には「金の湯」「ニコニコ湯」など銭湯が数軒点在している。
千住大門商店街
千住大門商店街(上2枚)
千住柳町で見かけたバラック建ての店舗
その名も「ブリキヤ」、そのままである
この界隈にはトタン張りの店舗が所々で見かける
角のタイル貼りが目立つ一軒の町中華
辛うじて遺構と帯われる一軒(上3枚)
タカラ湯
かつての色街は静かな住宅地として余生を過ごす
かつての千住遊郭の北側沿いに延びる「ニコニコ商店街」
ニコニコ商店街(上2枚)
千住柳町の近くにあるミルクホール(上2枚)
旧千住郵便局電話事務室(現・NTT千住)
昭和4年築
設計は山田守
訪問 2016年6月・2017年3月
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