【千葉県・成田市】成田花咲町
成田詣の「精進落とし」の場が、成田駅のすぐ側にあったとは思わなかった。
ただ、「赤線は花咲町に八軒、二十九名」(全国女性街ガイド)と規模は小さい。
大半は、宿場町だった船橋で遊んだのだろう。
「花咲町」とあるが、現在も「花崎町」という名で地名が残っている。
「成田山近道」の看板が立っている通り、ここが成田の遊里の中心だったと歩いて知ることに。
妓楼か料亭を思わせる木造建築の「東洋」さん。
「東洋」の脇道、色街の雰囲気を見せる。
赤線を思わせる「東洋」の斜め真鍮のドア。
瓢箪の形をくり抜いた塀が残っている......
「風俗環境浄化重点地区」の看板、要するにこういう場所だということなんですね。
現在もこの通りは夜の街のようだ。
カフェーを思わせる飲み屋と昭和な洋品店が並ぶ。
脇道に往時を偲ばせる脇道、奥に「旅館」の看板が見える。
脇道に入るといい雰囲気の喫茶店、だが営業している風に見えない......
冒頭写真の円窓を持つ小料理屋?
旅館?
色褪せた看板が見える、何と読むのだろうか?
JRの線路沿いの通り、理髪店に旅館と並ぶ、旅館は転業か?
脇には小さい祠が......お稲荷さんか?
成田講の記念碑なのだろう、「赤阪日花惣」とは?
土塁の玉垣に寄進者の名が見えるが、「一力楼」?もしや妓楼?
「引手茶屋」の文字も見られた、遊里関係の寄進も多そうだ。
『全国女性街ガイド』によると、花街もあったそうで、「芸妓は置屋五軒に二十一名」とある。
雰囲気からして、花咲町は芸娼同居の遊里だったのだろう。
訪問 2017年11月
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