湊入船の街並み(東京都中央区)

入船一丁目 銅板建築に目を奪われがちだが、裏にはマンサート屋根の家屋が見える。


入船一丁目 東京駅至近の都心にかかわらず、トタン張りのバラック建てが点在。


鉄砲洲稲荷神社 ちょうど境内は工事中だった。本殿の前には二宮金次郎像。


湊一丁目 隅田川沿いに立派な銅板建築が残っていた(日本不動産株式会社)。




湊二丁目 この辺りはかつて下町の風景が残っていたが、再開発が進行中で巨大マンションが建つ予定に。


湊二丁目 駐車場が広がる地には、再開発に抗うかのようにバラック建てがただ一軒残る。


湊二丁目 美しいタイル貼りの看板建築 

向こうに見える2棟の高層マンションは隅田川対岸の佃島リバーシティ。


同じ通りにもう一軒、洋風の看板建築が建つ。


入船二丁目 看板建築だが、背後はマンサート屋根のトタン家屋だった。


湊三丁目 高層マンションやビルに囲まれるように残る下見板貼り住居と看板建築

右から「中井鋳物工場」と書かれており、戦前の建築であることを匂わせる。


湊二丁目 中央小学校の向かいに立派なマンサート屋根家屋が建つ。背後が再開発エリア。


湊三丁目 下町の路地裏風景が残る。上記写真左側の家屋には戦前の住居表示板が残っていた。

この地は「京橋区湊町」という地番だった。






湊入船界隈はかつて「鉄砲洲」という地名で、徳川家康が入府した当時は隅田川西岸の鉄砲の形をした砂州だったそうだ。

江戸時代は水路網の入口で船が集まり、現地名の「湊」(旧町名は「湊町」)「入船」につながる。

今も下町情緒が残り、戦災を免れたことで戦前築の看板建築や銅板建築、下見板張りの家屋が残るが、周辺が巨大マンション建築など再開発が進み、ついには湊界隈も再開発に着手。

地上げなどで古い建物が解体され空き地化され駐車場と化す中にバラック建てがぽつんと残される痛々しい風景を目にする。

古い町並みがいつまで残るか、予断を許さない。


訪問 2016年8月


★KENTAの写真倉庫★

東京近郊を中心に、たまに遠方に出かけたりして、下手糞な街並み写真をデジカメで撮っています。 人様にお見せするというよりは、自分の思い出のアルバムという形になっています。 (タイトル写真・内子=愛媛県)