人形町の街並み(東京都中央区)
大門通りの街並み
明暦の大火(1657年)が発生する前までは、この地が「吉原遊郭」だった。
大火を契機に浅草田圃(現在の台東区千束)に遊郭が移転、新旧の吉原を区別するため、当初の地は「元吉原」と呼ばれた(新たな「吉原遊郭」は昭和40年まで「新吉原」という地番に)。
「元吉原」は町地を経て「芳町(葭町)」と呼ばれる花街に発展。
昭和初期の規模は、「芸妓屋 二百七十八軒。芸妓 七百三十名内小芸妓八十四名。幇間 四名。料理屋、待合合して三百十三軒。」(『全国花街めぐり』より)。
大門通りに建ち並ぶ旧花街の遺構
向かいに建つ看板建築には薄っすらと「神谷商店」という文字が見える
旧花街の名残りが見られる通り
木造料亭建築と看板建築が向かい合っている。
大門通り付近は戦災に免れたことにより、銅板建築が点在(上2枚)
木造3階建ての料亭建築は近年リフォームされていた。
末廣神社の玉垣
大門通りの街並み(上2枚)
現在唯一の出先の料亭「浜田屋」
人形町駅近くの大観音寺裏手に伸びる芸者新道(小菊通り)
よし梅芳町亭(昭和2年頃築 有形文化財)
旧待合と思しき建物
銅板建築が向かい合う通り
一方には「板金工業」と思われる文字が残っていた
訪問 2016年9月
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