鳩の街(東京都墨田区)
昭和20年5月、東京大空襲で罹災した私娼窟「玉の井」の業者の一部が戦時中に移転してきたのが始まり。
終戦後、進駐軍の慰安施設(RAA)を経て赤線に移行。
「吉原をプロとすればここはセミ・プロから素人までの若い子が多く一一三軒、約四五〇人の女がいる」(『よるの女性街・全国案内版』)。
鳩の街商店街(上4枚)
「鳩の街」のメインストリート。
カフェー街はこの通りの裏側に広がっていた。
”下町のショーガール”木の実ナナが幼少期、この通りの中程のアパートで過ごしたことがある。
戦災を免れたこともあって、銅板建築の店舗も見られた。
もともとは戦前からあった下見板張りの木造町家だっただろう。
それらの1階をカフェーに改装したのが多くみられる。
上3枚は「旅館桜井」。
メイン通りが和風の木造旅館然なのに対し、裏に回るとカフェー風になっていた。
3枚目の窓の下には進駐軍の立ち入りを禁じた”OFF RIMITS”の文字が書かれている。
RAAの慰安施設であったことを示す貴重な証拠だったが、残念ながら現在は解体されている。
鳩の街には2年後にも一度訪れたが、「桜井旅館」をはじめ多くのカフェー建築が解体の憂き目にあっている。
年月とともに赤線建築が消えるスピードは速まっている。
いままた訪れた時には、さらにその数を減らしていることだろう。
訪問 2012年5月
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