玉の井〈旧寺島町〉(東京都墨田区)
永井荷風『濹東綺譚』の舞台で、「ラビラント(迷宮)」と形容した路地裏の私娼窟。
「大正から昭和初期へかけての全盛期には四百七十七軒、千四百名もの『玉のいい』のが、抜けられますの迷路の両脇から、嬌声を発し、赤い灯青い灯に照らし出されて、尺五寸正方のガラス窓の向こうから客を呼んだものである」(『全国女性街ガイド』)。
しかし、東京大空襲で焼失したことで、業者は焼け残った地域に移り、銘酒屋街はカフェー街(赤線)になり、「百二十一軒に三百九十名から四百二十名の女が出たり入ったりしている」(同掲書)。
東武東向島駅(旧玉ノ井)
いろは通り(旧大正通り)
隅田湯
冒頭写真の独特なバルコニーの旧カフェーはのちに解体され、現存せず。
『赤線跡を歩く』に出てきたはめ殺しの窓枠の装飾は健在
訪問 2012年5月 2014年1月
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