五条楽園2012(京都府京都市下京区)
かつては「七條新地」と呼ばれた娼妓主体の遊里。
「百六十八軒に七百五十名」という規模の赤線だった(『全国女性街ガイド』)。
赤線廃止後、表向きは"お茶屋街”として存続も、平成22年の摘発を受け、色街の歴史に終止符を打つ。
全盛期の昭和40年頃は、お茶屋84軒、置屋16軒、旅館15軒、バーやスタンド19軒で、芸妓100人程度という規模だった。
摘発後2年経ったかつての色街を歩いたが、和洋織り交ぜてのお茶屋が多く残っていて、特にタイル装飾のカフェー建築風が目立っていた。
五条大橋
和洋のお茶屋が並ぶ細い通り
五条楽園歌舞練場
実は築100年超の建物
全面タイル装飾のお茶屋「新みかさ」
三友楼
鴨川沿いの街並み
旅館平岩
任天堂正面営業所(旧本店社屋)
昭和8年築
現在ゲーム界の王者も、原点はトランプやカルタ、花札の製造元だった
遊里の中央を貫いている高瀬川
訪問 2012年4月
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